2013年06月23日

オーストラリア・ブルームに残る「村上ロード」

ロード.jpg
*英語版はこちら → http://kusimotorukaruka.seesaa.net/article/367233731.html

村上安吉。ブルームの日本人コミュニティのリーダーだった。
また、当時の伝説的真珠業者、アンセル・グレゴリーの友人であり、良きパートナーだった。村上とグレゴリーは、20世紀という時代が動き始めたブルームで、長く協力関係を築いた。人々の心が、新しい力で世の中を切り開こうと、野心と意欲に満ちていたころである。

1922年、村上とグレゴリーは、この近くにあるエントランス・ポイントという場所で、真珠の養殖をしようと、密かに計画を立てていた。それが町の人々に知られると、抗議の声が上がり、彼らの計画は終わりへと向かった。警官が、すべての設備を壊してしまったのである。オーストラリア初の真珠養殖計画は、こうして消え去った。
(*注:当時、人々は天然真珠の値が下がることを恐れ、養殖に猛反対した。)

日本が、第二次世界大戦に突入した時、村上は、ブルーム在住の日本人コミュニティとともに、抑留された(日系民間人捕虜となった。)。ブルームで過ごした後、ビクトリア州の抑留キャンプで、寒さと湿気に体を弱らせ、1943年病死。
(*注:村上安吉の死亡日は、別の資料で1944年と記されており、多くの証言もあることから、1944年と思われる。)

ブルームの町の、養殖真珠貝孵化場につながるこの道に、村上安吉の名前を記す。
(*注:養殖真珠貝孵化場=真珠養殖のための貝を、交配などで育成する場所。)



☆この記事は、オーストラリア在住、フォトジャーナリスト 金森マユに、文字だけではわからない、真珠養殖専門用語や地名などについて教えてもらい、翻訳しました。それによって、当時の時代背景や地元の様子が、初めてわかりました。ありがとう!!
(金森マユ「About Murakami」http://aboutmurakami.wordpress.com/) 
posted by 南 瑠霞 at 12:00| 和歌山 ☁ | TrackBack(0) | オーストラリアの日系人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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