2013年09月29日

エルトゥールル号の遭難

小学館から、本が出ました。
「エルトゥールル号の遭難」という本です。

本.jpg

1985年、イラン・イラク戦争が起きたとき、
現地の日本人たちを、ぎりぎりで脱出させてくれたのは、
トルコの飛行機でした。
トルコは、他国の戦争勃発時、ミサイルが飛び交う中、
なぜ、命のかかる危険な飛行を、
異国の日本人のために、決行してくれたのでしょうか?

そこには、120年以上も前、
日本 和歌山県沖でのエピソードが、
隠されていました。

貝.png

1890年、日本の天皇に会いに来た、
オスマントルコの使節団船、エルトゥールル号が、
帰りの航路、和歌山県串本沖で、遭難したのです。
9月と言えば、台風の季節。
嵐による高波と、激しい風雨が、船を襲ったのです。
そのとき、串本の人たちが、
海に沈みかけたエルトゥールル号から、
必死に、乗組員たちを助けたのだそうです。
私たちの先祖の、友情のお話が、この本に紹介されています。

航路.jpg
エルトゥールル号の航路

遭難地点(小).jpg
遭難地点

海.jpg
この海が、エルトゥールル号の遭難現場。
美しい海岸線ですが、多くの岩が切り立ち、
人が海に投げ出されたら、とても危険な場所です。
串本の人が、一刻も早く助けたい!と思った気持ちが、
わかります。

船.jpg
現在も、串本の沖では、
9月には、台風を避けて、大きな船が停泊していることがあります。


「エルトゥールル号の遭難」
寮 美千子(文)・磯 良一(絵)
小学館  1200円
posted by 南 瑠霞 at 10:24| 和歌山 ☁ | TrackBack(0) | 南 瑠霞の串本ばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

和歌山県太地町

明治時代、オーストラリアにわたって活躍し、
オーストラリアの地に眠っている祖父、
村上安吉について、いろいろ勉強しています。

安吉.png

和歌山県串本出身の祖父は、
明治時代、オーストラリアの西部や北部の、
ブルームやダーウィンの街で、暮らしていました。

串本町では、戦前、真珠貝を採りに出稼ぎに行った、
木曜島の話が有名で、
島のトレス市や、アラフラ海など、
オーストラリア北東部の情報が豊富です。

一方、いろんな方のお話を聞くうち、
ブルームの情報の多くを、近くの太地町が、
保存していることがわかりました。

今回、遅い夏休みを取って、
太地町に、いろんなお話を伺いに行きました。

太地.png

<1> 太地町とブルームの関係
和歌山県太地町は、30年以上前から、
ブルーム市と友好都市提携を結んでいる。
かつて100年以上前の移民時代(19世紀末)、
太地町を含む、多くの南紀出身者らが、
ブルーム一帯に入植し、
真珠貝(白蝶貝)の採取などに携わっていたからである。
オーストラリア西部・北部に渡った、
当時の日本人の墓地は、現在ブルーム市内にあり、
「ジャパニーズ・セメタリー(Japanese Cemetery)」
と呼ばれている。
墓碑およそ700基が残され、900名以上が埋葬されている。
これは、海外の日本人墓地としては、世界最大級。
太地町は、この多くが地元出身者であることからも、
墓地の管理なども含め、
ブルーム市と、深い協力・連携体制を取っている。
両市では、これをきっかけに、
現在、様々な文化交流も続いている。

<2> 太地町教育委員会の本格的調査
太地町に、ブルームのほか、
南紀の移民資料の多くが集められているのは、
町の教育委員会が、専門の学芸員を置いて、
町を上げて、調査にあたっているからである。
ここ10年ほどで、積極的情報収集活動が行われ、
写真や記録など、様々な資料が、掘り起こされ、
保存・整理が、されるようになった。
太地町は、主に、オーストラリアのブルーム、
アメリカ西海岸、カナダに移民を送り出しているが、
そうした町出身者の情報のほか、
調査を進める過程で、南紀全体に及ぶ、
各地の移民関係資料も、集まってくることとなった。

また、ブルームの日本人墓地には、太地町出身者のほか、
南紀では、串本出身の木曜島関係者も多く埋葬されており、
関連資料は、太地町でも保管されている。
さらに、当時、西オーストラリアのコサックからブルーム入りした
村上安吉の記録も、一部太地町にまとめられている。
(このほか、ブルーム日本人墓地の名簿には、
全国各地の人の名前があり、
全ての資料は、太地町でも保存・管理している。)

貝.png

今回、太地町に伺って、
南紀一帯の移民者の、
大きな流れを教えていただくことができました。

太地町.jpg
写真は、向かって左から、
☆ 太地町 歴史資料室 研究員 江ア 隆司 さん
☆ 南 瑠霞
☆ 太地町 歴史資料 室学芸員 
櫻井 敬人(さくらい・はやと)さん。

この日は、お二人に、温かく迎えていただき、
私の知らなかったいろんなお話をお聞きし、
多すぎる情報に、
アップアップになりながら、帰ってきました。笑

江崎さんは、地元の小中学校の教諭や校長先生として、
たくさんの子供たちと過ごす中、
太地町の歴史の大切さを感じ、
こうした、資料の発掘・整理、
また、多くの方への移民文化を伝える研究活動を、
続けておられます。

櫻井さんは、学芸員として、
太地町の、移民調査活動を、中心になって進めています。
太地町に住んで7年。
当初は、アメリカボストン近郊で、
捕鯨についての学術調査を行っており、
その一環として、
太地町くじら博物館を訪れたのがきっかけで、
町の移民史調査に乗り出しました。
太地の町は、捕鯨とともにまた、
多くの移民たちの歴史に支えられてきた町だと知り、
興味を深くしたのだそうです。
7年前、アメリカ人の奥さんと共に帰国。
現在、お子さんと3人で、太地町に暮らし、
研究・調査活動を続けています。

何も知らない私の訪問に、
快く、いろんなことを教えていただいたお二人に感謝。
posted by 南 瑠霞 at 00:00| 和歌山 ☀ | TrackBack(0) | 日系人取材こぼれ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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